ハワイに根付いた日本文化をチェック! 起源や庭園、神社、関連料理などをご紹介

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実はハワイには日本の文化を感じる要素が満載です!なにげないハワイの散策のなかで庭園や神社、茶室、見慣れた食べ物などを見かけ、不思議に思ったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ハワイにおいて日本文化は日本の先人たちの労苦によって受け継がれてきました。そんな背景まで知っておくと、ハワイと日本の関係がよくわかり、観光や移住生活も充実するはずです。

そこで今回はハワイにおける日本文化の起源をはじめ、庭園や神社、日本人移民が暮らしていたハワイプランテーションビレッジなどについて解説していきます!

目次

ハワイにおける日本文化の起源

ハワイにおける日本文化の起源

かつてのハワイ王国では、砂糖産業の拡大により、農園で労働力が求められるようになりました。その流れもあり、1868年(明治元年)から日本人もハワイに移住しており、渡航者は元年者と呼ばれています。

1885年(明治18年)には、明治政府が正式に認めた官約移民の送出も始まりました。1894年までに約29,000人の日本人がハワイに渡航して、オアフ島をはじめとする各島の砂糖農園に入植することになります。

ただ、帰国が困難になってしまい、そのまま定住する方が多かったそうです。1918年(大正7年)にはハワイにおける日系人口は10万人を超えて、1924年(大正13年)には全体の70%になります。

入植の契約を終えた日本人はより良い生活を求めて、個人でお店を始めることもありました。そのため、現在のハワイでは「Tamura’s」など、日本人の苗字のお店を見かけるというわけです。

ご飯とおかずが詰められている「ベントウ」や、お惣菜店にあたる「おかずや」、お風呂に入るという意味の「ボチャ」など、日系移民によって日本を連想させる言葉もハワイに根付いていきます。

日本からの移民によって、日本文化もハワイにもたらされることになったのです。

ハワイにある日本庭園

ハワイにある日本庭園

ハワイには日本文化を感じさせる庭園が存在しています。ハワイで最大級の日本庭園として知られるのが、リリウオカラニ庭園です。

1919年にヒロの日系移民を記念する公共庭園として開園されました。庭園には、赤いお太鼓橋や燈篭、鳥居、庭石、黒松などがあり、日本らしい風情を醸しています。茶室「松浪庵」は裏千家15代目家元が寄贈しました。

リリウオカラニ庭園は、アメリカのランドマークという切手シリーズにもデザインされ、ヒロの人々を喜ばせたとのことです。

また、ハワイ大学マノア校の中にも日本庭園があることが知られています。池の中には立派な鯉が泳いでおり、日本で見られる光景を連想させる雰囲気です。

茶室もあり、ふすまや畳など、日本の建築様式が採用されています。茶室では、茶道の授業も行われるとのことです。茶道の基本作用やおもてなしの大切さについて、道具を使いながら学びます。

日本人の生徒には日本語、現地の生徒には英語を通して授業が行われます。大学の茶道サークルも茶会を開くのに使っているようです。

このようにハワイでは、庭園が日本文化として根付いています。観光や移住の際に庭園を見かけたときは、異国の地で出会う日本文化の違いを体感してみてはいかがでしょう。

ハワイの神社仏閣

ハワイの神社仏閣

ハワイには、日本にゆかりのある神社がたくさん建築されています。

異国の地でも日本文化を感じられるのは、数多くの国の中でも貴重な魅力ではないでしょうか。参拝に際しては、お守りの販売や御朱印などにも対応しており、思い出を作るのにも最適です。

引き続き、ハワイにある有名な神社についてご紹介していきます! 住所や電話番号などの基本情報も掲載しているので、訪れる予定がある方はあわせてチェックしてみてください。

ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮

香川県の金刀比羅神社と福岡県の太宰府天満宮の本殿からなる神社であり、ハワイ在住の日本人が1920年に設立しました。ワイキキからホノルル国際空港に向かうH1フリーウェイの左手に見えてきます。

水天宮など、日本各地の神社を含む7つの宮があり、同時にお参りができます。ホヌ(ハワイ語でウミガメ)柄のオリジナルお守りはハワイのお土産として人気です。

ピンクカラーをベースとしたデザインがキュートで、女性へのプレゼントにピッタリではないでしょうか。また、アメリカを連想させる星と赤色、青色の組み合わせのお守りもあり、日本・米国文化のミックスも体感できます。

七五三や神前結婚式、元旦の初詣などの行事にも対応しており、ハワイ在住の日本人や多くのロコ達から親しまれています。

【基本情報】

住所1239 Olomea St., Honolulu
電話番号808-841-4755
営業時間8時00分~16時00分

ハワイ出雲大社

ハワイ出雲大社は、日系移民への神道布教を目的として1906年(明治39年)に建築された出雲大社の分院です。

日本初となる官約移民は、出雲大社の信仰圏である広島県や山口県を含む西日本出身者が多い傾向でした。そのため、当時の出雲大社教官長が開設の命を発したとのことです。

1941年(昭和16年)の日米開戦によって甚大な被害を受けましたが、戦後に移築修理が完了して復興しました。

正月の初詣に訪れる方や縁結びのご祈祷に訪れる方などもいます。御朱印帳にオリジナルの御朱印を押してもらうことも可能です。実際にSNSでは、御朱印を写真で公開している方も見受けられました。御朱印巡りが好きな方にとっては見過ごせないスポットだといえます。

御賽銭に関しては、日本円ではなくドルでおさめるのがマナーだとされています。硬貨はハワイの銀行で両替できず、神社で働く方に面倒をかける恐れがあるからです。お参りをする予定がある方は事前知識として押さえておきましょう。

【基本情報】

住所Izumo Taisha, Honolulu, HI 96817
電話番号808-538-7778
営業時間8時30分~16時45分

ハワイ大神宮

ハワイ大神宮は、オアフ島のワイキキから車で約20分のヌアヌの街にある神宮です。伊勢神宮の分社であり、パワースポットとして知られています。

目の前には、広々とした「ヌアヌ・ヴァレー・パーク」があり、隣にはエマ王妃が過ごした離宮「クィーンエマ・サマーパレス博物館」があります。

神明社の社号を持つお社であり、御霊白(みたましろ)には天照大神を主祭神として祀っています。そのほかに祀っている祭神は下記の通りです。

  • アメノミナカヌシ(天之御中主神)
  • カメハメハ大王(ハワイ王国初代国王)
  • カラカウア大王(ハワイ王国第7代国王)
  • ジョージ ワシントン(アメリカ合衆国初代大統領)
  • エイブラハム リンカーン(アメリカ合衆国16代大統領)

日本の神様だけでなく、アメリカの大統領やハワイの国王に対してお参りできるのが特徴です。

もとは民家だったようで、外観は公民館のような見た目をしていますが、狛犬や絵馬などもあり、神社の雰囲気を楽しめます。

【基本情報】

住所61 Puiwa Rd, Honolulu, HI 96817
電話番号808-595-3102
営業時間8時00分~17時00分

平等院テンプル ハワイ

平等院テンプル ハワイは、日本人移民100周年を記念して建立された神社です。オアフ島のカネオヘにあるバレー・オブ・ザ・テンプルズ・メモリアルパークの奥に立地しており、京都の宇治にある平等院鳳凰堂のレプリカとなる存在として親しまれています。

人気テレビシリーズ「LOST」や映画「パールハーバー」の撮影場所として有名です。仏教やキリスト教などさまざまな宗教が混在する公園墓地にあることから、特定の宗教を祀った建物ではないといわれています。

プランテーションで過酷な労働を強いられていた日系移民達の平等を願う気持ちにもとづき、建設が進められたとのことです。

鮮やかな朱色の外観が、背景のコオラウ山脈と相まって神秘さを醸しています。サイズが本物の約3分の1であるにもかかわらず迫力があるデザインです。平等院の周囲には、京都の有名な造園師が設計した日本庭園があり、錦鯉やブラックスワンが泳いでいます。

日系移民やハワイの地元民などが挙式をするときにも使われるようです。

【基本情報】

住所47-200 Kahekili Hwy, Kaneohe,
電話番号808-239-8811
営業時間8時30分~17時00分

日本文化が残るハワイプランテーションビレッジとは?

日本文化が残るハワイプランテーションビレッジとは?

ハワイにおける日本文化の始まりは、日本人の移民がサトウキビ畑で働いていたことに関係しているとお伝えしました。

ハワイと日本文化の関係を深く知るには、日本人の移民について学ぶ必要があります。移民の歴史を伝えているのがハワイプランテーションビレッジです。

ここでは、ハワイプランテーションビレッジの概要をお伝えするとともに、日本やそのほかの地域の移民の歴史について解説していきます!

ハワイプランテーションビレッジの概要

ハワイプランテーションビレッジとは、当時のプランテーション(大規模農園)集落と住居を再現した屋外博物館です。オアフ島のワイパフにあります。

1850年~1950年ごろにハワイの農園で働いていた日本や中国、ポルトガルなどの移民達が暮らしていた住居が設置されており、各国の生活様式が歴史として伝えられています。

住居や商店などが出身国ごとに細かく再現されているのが見どころです。たとえば、ちゃぶ台と思われる机や下駄、公衆浴場などが残されており、豆腐屋や床屋、歯医者の施設なども展示されています。

ガイドさんから直接ハワイの移民についての話を伺うことができ、密度の濃い時間を過ごせたという口コミもありました。施設だけでなく、当時の政治・経済情勢についてまで説明してもらえた方も見受けられました。

ハワイと日本文化の関係をリアルに体感したいという方には、見過ごせないスポットではないでしょうか。

日本の移民達の生活

現代のハワイはリゾート地域として華やかな暮らしがイメージされますが、当時の日本の移民達は過酷な労働を余儀なくされていました。

たとえば女性は、朝4時に起床して朝食・昼食の準備をして6時から作業を開始していたとのことです。

初めは寮形式の長屋が提供されていましたが、プライバシーには配慮されていませんでした。労働条件の改善を求めてストライキが実施され、次第に家族単位で住居が与えられるようになります。

沖縄からの移民については、日系移民とは別の集落で暮らしていたようです。プランテーションビレッジには沖縄の家が設置されており、沖縄文化も継承されています。

サトウキビ畑の周辺には、教会やお寺などが設置されたほか、2世のために日本語学校まで設置されました。1930年代にはハワイの女学校に進んだ2世が、日本で教育を受けるために来日するようになります。

日本の移民は、ハワイで新聞や雑誌も発行して豊かな文学表現も残したようです。ただ、移民の文学に関しては、日本文学とアメリカ文学とも認められず、埋もれてしまったといわれています。

世界の移民達の概要

ハワイプランテーションビレッジでは、日本人だけでなく、さまざまな国からも移民を受け入れていました。各国の移民達の概要をまとめてみます。

国籍概要
中国初めにプランテーションに来た。砂糖精製の知識と技術があった。
ポルトガル白人だったので東洋人よりも優遇されていた模様。現場責任者の地位が与えられた。
フィリピン家族で移住してきた人々が多く、台所が家族向けに作られていた。
プエルトリコ住居には楽器類が多く暮らしに音楽が根付いていた様子。
韓国4割がキリスト教信者で将来を占う行事が盛んだったとのこと。

新しい移民がやって来るたびに国別の住居区域が増えていったそうです。

ハワイプランテーションビレッジの見どころ

ハワイプランテーションビレッジでは、タイムトンネルをくぐり抜けた先に、さまざまな見どころがあります。

たとえば、日本人集落の施設です。仏壇や座布団、やかん、タンスなどが設置されている住居を見られます。そのほか、日本人の社交場として活用された銭湯や、日本人が働いていた散髪屋などの施設も存在しています。

世界中の移民が利用していた施設も見過ごせません。

ポルトガルの移民がパンを焼いていたかまどや、中国人が利用していた会議所、プエルトリコ人が使用していた台所などが挙げられます。

ハワイプランテーションビレッジでは、ハワイと日本文化の関係だけでなく、世界の文化と触れあうことができます。海外の暮らしに興味がある方にもおすすめのスポットです。

ハワイプランテーションビレッジの基本情報

入園料大人:17ドルシニア(62歳以上):11ドル
4~11歳:8ドル
3歳以下:無料
ガイドツアーの開催時間月曜~土曜の10時~12時
ガイドツアーの所要時間1時間~1時間半ほど
住所94-695 Waipahu St, Waipahu, HI
電話番号808-677-0110
営業時間9時00分~14時00分

日本文化の再興とプランテーション社会の変化

元年者の渡航を機に日本とハワイの関係が強まっていきますが、1941年の太平洋戦争によって強制的に断絶されることになります。日本軍によるハワイの真珠湾攻撃は、現地の日本人コミュニティを大混乱させました。

戦時中は、日本語の使用や夜間の外出などが禁止され、手紙や新聞の検閲も行われました。日本語学校や神社なども閉鎖されます。強制収容を避けるために、着物の着用を避ける日本人や、ひな人形などを自ら破壊する日本人もいたといいます。

戦後になると、軍事産業や観光産業などが興隆し、ハワイ経済を支える主軸となっていきます。プランテーション農業を主体としていた経済が大きく変化し、ホノルルへの人口集中と都市化が進み、1959年にはハワイ準州がアメリカの50番目の州に昇格します。

経済の変化にともない日本人のコミュニティも変化し、日本文化が再生していきます。日本の映画館や日本料理店に人々が押し寄せるようになり、日本の歌も人気を博していきました。

移民・帰化法が認められると、日本人移民がアメリカ市民権を獲得して、日系アメリカ人となります。政界をはじめ、スポーツや宇宙、教育、料理などの分野で多くの日系人がハワイで活躍するようになりました。

不平等を変革していくエネルギーが高まり、ハワイは各人種が分断されるプランテーション社会から脱却していったようです。ハワイで日本文化が見受けられるのは、多くの日系人が苦難を乗り越えてきた賜物だといえるのではないでしょうか。

ハワイにおける茶道の日本文化

ハワイにおける茶道の日本文化

ハワイにも茶室があることをすでにお伝えしました。

異国の地における茶道文化は、日本とは異なる風情が楽しめるようになっています。

たとえば、カエルは日本で春の季語として知られていますが、ハワイでは1年中見かける生き物です。静かなお茶室でもカエルの声が聞こえると、違った味わいを楽しめるといいます。

また、ハワイでお茶を楽しむときには、少し困ったことも起こるようです。ハワイは暖かい気候で、人々はTシャツや海パン、ビーチサンダルなどの服装で道を歩いています。

その点、着物は肌の露出が少なく、暑苦しいイメージを持たれそうですよね。初めて着物を着てお茶の稽古に向かうときは、周囲から発せられる興味の視線に対して、気恥ずかしさを感じてしまいやすいといいます。

いずれにせよ異国の地における日本文化は、日本人に新たな気づきや発見、刺激をもたらしてくれそうですね。

ハワイで日本文化として浸透している料理

ハワイで日本文化として浸透している料理

ハワイでは、ガーリックシュリンプやパンケーキ、ステーキなど、さまざまなグルメが楽しめます。実は、このような定番料理だけでなく、日本文化として浸透している料理もたくさんあります。

引き続き、ハワイで日本文化を楽しめる料理についてご紹介していきましょう!

ポケ丼

ポケ丼は、ポケ(ハワイ語で魚の切り身)を用いた海鮮丼です。白米の上にマグロやタコといった切り身や海藻、香味野菜が乗っています。風味はしょうゆベースの味付けです。

日系移民の影響で味付けや形式が変化していったとのことです。日本で食べる海鮮丼との違いを比較してみると楽しそうですね。

コーン寿司

日系人が暮らすハワイではいなり寿司も親しまれています。

ただ、日本で見かけるいなり寿司と形が違って円錐形です。油揚げを三角に切ってすし飯を詰めることが多く、コーン寿司という名称が浸透しています。

名前からはトウモロコシのお寿司だと勘違いしてしまう人もいるかもしれませんね。

サイミン

サイミンとは、ハワイのプランテーション時代に、日本の移民がエビのダシに中華麺に似た麺を入れて調理した食べ物です。麺が細かったことが名前の語源だといわれています。

現地ではマスタードを加えたり、ハンバーガーと一緒に食べたりする方もいるようです。

見た目は日本で見かけるラーメンに近いので、ハワイで見かけたときは地元に帰ったような安心感が生じるのではないでしょうか。

ロコモコ

ロコモコは、ご飯の上にハンバーグや目玉焼きを乗せてグレービーソースをかけた料理です。

ハワイのヒロでレストランを経営していた日系人が、隣の公園でフットボールの練習をしていた少年の要望に応えるために作ったことが起源のようです。ロコは、スペイン語でクレイジーという意味を持ち、少年の大胆なプレイを称えているといわれています。

ソースは店ごとに個性が異なるので、現地を訪れたときに食べ比べしてみてはいかがでしょう。

スパムむすび

スパムむすびとは、缶詰のソーセージであるスパムをブロック状のご飯のうえに乗せて海苔で巻いた食べ物です。ハワイ在住の日系人が第二次世界大戦後に考案したといわれており、片手で食べ歩きできるストリートフードとして幅広い世代に愛されています。

日本のお寿司屋さんで見かけそうなデザインであり、日本人であれば親近感が湧くのではないでしょうか。

個性あふれるアレンジレシピも登場しており、チャーハンのような焼き飯風のスパムむすびや、キムチを乗せたスパムむすびなどが挙げられます。お好みのスパムむすびをぜひ探してみてください。

まとめ

まとめ

今回は、ハワイにおける日本文化の起源をはじめ、現地の庭園や神社、茶室、日本に馴染みのある料理などをご紹介しました。

かつてのハワイ王国では砂糖産業が活発であり、日本人の移民を労働者として受け入れていました。プランテーションで過ごした日系移民により、日本の言葉や設備、食べ物など、さまざまな日本文化がハワイに根付いていきます。

日系移民の生活は、ハワイプランテーションビレッジという屋外博物館で学習できます。公衆浴場や床屋などの施設、ちゃぶ台や下駄などの備品なども残されており、当時の実情をガイドの方から話を聞くことも可能です。

ハワイには、ヒロの日系移民を記念するリリウオカラニ庭園や、日系移民への神道布教を目的として建築されたハワイ出雲大社などがありました。

異国の地といえども日本の風情を楽しめるスポットであり、ハワイ風のお守りを購入できるのが魅力的です。普段は庭園や神社に興味がない方でも、日本の魅力を再発見するきっかけになるかもしれません。

そのほか、日本とは形の異なる「コーン寿司」や、農園で日系移民が調理していたという「サイミン」など、日本に関連する料理もありました。

このようにハワイには日本文化を楽しめる要素が満載です。今回紹介しきれなかった日本文化もまだまだたくさんあるので、ぜひご自身で気になるスポットや料理などを体感してみてはいかがでしょう。

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